第685回:あり得ない偶然の出会い
ほとんど可能性のない確率なのに、現実に起こることがあります。
私たちがスペインのマジョルカ島でクルージングの準備をしていた時、スペイン人男性ディエゴとオランダ人の奥さんティネカ、そして双子のマリーナ、パロマととても親しくなりました。彼らは鉄の船体を造って貰い、内装、エンジン、マストなど全艤装を自分でヤルという、自作艇に取り組んでいました。彼らはそのヨットで世界一周をする予定でした。ヨットの名は“Tortuga”=“亀”です。のろくても確実に歩み続けることを期待してのことです。
私たちは幾度となく一緒に食事をし、一緒にセーリングに出かけたり、楽しい時間をたくさん過ごした最高のヨット友でした。
“亀”はディエゴ、ティネカ、そして双子が4、5歳の時に、テストセーリングとして、地中海一周のクルージングに私たちより、今数えると2年ほど早くマジョルカ島を離れました。私たちはメノルカ島、そしてイタリアのサルデーニャ島、そのすぐ北にあるコルシカ島を巡り、イビサ島の小さな湾、プウ・ロッジに錨を降ろしていたところ、見覚えのあるヨットが近づいてきたのです。
第一、プウ・ロッジはとても小さな湾だし、突き出た岩陰になっていて、その裏に静かな湾があるなどと、外から分からない場所なのです。他のヨットを見かけることなどまずない投錨地です。そこへ2年間連絡の取れなかった“亀”が現れたのですから、その嬉しい偶然ったらありません。
ヨット仲間の良いところは、お互いに完全に独立していることでしょう。楽しい数日を一緒に食べ、飲み、泳ぎ、潜り、私たちが買ったばかりのウィンドサーフィンで、皆が皆、海に落ちるのを観て笑い、「それじゃ、またどこかで偶然会うかもね…」と言い合って、それぞれ別の方へ舳先を向けたのでした。
“亀”はディエゴの郷里に近い、アンダルシアのモトリル(Motril)で最終的な長期クルージングの準備をし、ブラジルに向かったことを知りました。私たちは維持費のかかりすぎる50
フィートの“ケッチ”を売り、39フィートのFRP(強化プラスティック)の船に買い替えたりで“亀”に3年ほど遅れて船出し、大西洋を渡りカリブ諸島へ向かいました。
カリブの西インド諸島をのんびりと周り、夏のハリケーン・シーズンを避けるため、南下してベネズエラまで、あちらこちらにアンカーを入れ、泊まり、ゆっくりとベネズエラ本土のパリア半島に取り付きました。パリア半島とベネズエラの間は細長い、奥行きのある湾になっていて、さらに半島沿いに幾つもの小さな入り江があります。そして、そこに帆影を見ることはまずありません。
私たちはセールをたたみ、アンカーを何時でも投げ入れられるよう準備し、エンジンでゆっくりと湾の奥深くまで、測深儀(水深を測る装置)を睨みながら、ヨットを進めたところ、湾の一番奥まったところに見覚えのあるヨットが一隻だけポツンと錨を入れていたのです。“亀”でした。私たちはこの奇遇に喜び、鐘を鳴らし、非常用の笛(小型のラッパ)を吹いたりしながら、“亀”の舷側、2、3メートルを超スローですれ違ったのです。
コックピットで夕食を摂っていた彼らは、私たちの顔がはっきり分かるまで、誰だと気がつかない様子でした。もっとも、私たちは船を買い換えていますから、彼らは私たちのヨットを知りません。最初にウチのダンナさんのことに気が付いたのは子供たちでした。
後で、ディエゴは真っ黒に日焼けし、汗、潮まみれのTシャツをまとったダンナさんを見て、南米沿岸、ベネズエラに徘徊している、外国船籍のヨットを相手にしている海の乞食転じて恐喝する手合いだと疑い始め、本気かどうか、”亀“に隠し持っていた散弾銃を取り出そうとしたとまで言うのです。
その再会の楽しかったこと、彼らはブラジル、スリナム、ギニア、広大なオリノコ川の河口の島々、トリニダッド・トバコを経て、ベネズエラの北岸に取り付いたと言うのです。私たちの方はジブラルタル、カナリー諸島、そこから大西洋を渡り、仏領マルティニークに取り付き、カリブの島巡りをしてから、ベネズエラに行ったのでした。
地の果てとまでは言いませんが、パリア湾のさらに中にある一つの入り江で、マジョルカ島時代のヨット友達に出会ったのは、単なる偶然を通り越して、干し草の山の中から一本の針を探し当てたようなものです。マジョルカ島から4、5千キロ離れたベネズエラの小さな湾で“亀”一家に3年半後に出会うのは、天にいる誰かが(神様とは言いませんよ)、そのように仕組んでくれたのではないかと思いたくなります。
“亀”一家との再会は、私たちのクルージングライフのハイライトでした。3日も一緒に過ごしたでしょうか、そこから彼らはカリブ海を西に航行し、パナマ運河を渡り、太平洋に向かったのです。私たちはハリケーン・シーズンをベネズエラ北岸や沿岸の島でやり過ごし、また北上し、長いこと住むことになったプエルト・リコに向かったのでした。
またまた、ダンナさんのことになりますが、彼がスペインで暮らし始めてすぐに、彼の中学時代の友達にマドリッドのティルソ・デ・モリーナ広場で出会っています。十数年も顔を合わせたことがない同級生とすれ違い、向こうが「アレッ? サノ君でないの」と、声をかけたのです。友人はスペインで絵の修行をしていました。お互いにスペインにいることを全く知りませんでしたから、あそこで逢わなかったら、彼が声を掛けてくれなかったら、おそらく一生再会しなかったな~と感嘆しています。
このような偶然の出会いは、人生に豊かな色取りを与えてくれます。決まりきった通学、通勤の道筋を毎日踏んでいる人より、私たちのようにいつも飛び回っているような人間にはそんな可能性が多くなるのでしょう。そう言えば、私が定職に就いてから、劇的な出会い、再会がパタリとなくなりました。生活が単調なローテイションに入ったからでしょう。
週一のペースで利用している図書館で、昔の…と言っても、3、4年前の生徒さんに出会い、今、マスターコース(修士課程)を取っているとか、図書館でアルバイトしながら、日本に留学するチャンスを待っているという程度の出会いです。それなりに嬉しいのですが、とても劇的偶然の出会いとは呼べません。セーリング時代に比べ、時間も空間も桁違いに狭いのです。
“亀”とのあり得ない偶然の出会いは、きっと一生に一度あるかないかの出来事なのでしょう。未だに、夕陽が沈んでいくパリア湾に“亀”の船影を目にした時の感動が沸き起こることがあります。
-…つづく
第686回:小沢孝雄さんのこと
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