第700回:アジア系アメリカ人受難の時代
アメリカは一体どこに行ってしまうのでしょう? どんな国になってしまったのでしょう?
ジョージア州のアトランタで、アロマセラピーのお店で働く8人の女性が銃殺されました。そのうち6人はアジア系、韓国系のアメリカ人でした。
最近、公道、私道にたくさん監視カメラが設置されていますから、ショッキングな映像がテレビに流れます。ニューヨークで36歳の中国系アメリカ人が背中をナイフで刺された様子は全米にショックを与えました。また、ゴミを出しに外に出た東洋人女性が、顔に塩酸を掛けられた模様も放映されました。
一般に、愚痴を言わず、静かに耐える東洋人の性質が裏目に出ているのでしょうか、弱い者イジメ、無抵抗の人たちをイタブルのが大好きなよじれた性格の人にとって、アジア系の人たちは暴力を振るうもってこいの対象になっているのです。ちょうど良い生贄の子羊なのです。
これもニューヨークの地下鉄でフィリピン系のアメリカ人、61歳のお婆さんが顔をカッターナイフで切られました。また、サンフランシスコでは、84歳のタイ系アメリカ人、ヴィッチャ・ラタナパクダエさんは集団暴行を受けて死んでしまいました。隣町オークランドでも、91歳の老人が襲われ、南カリフォルニアでは89歳のフィリピン系のアメリカ人、彼は元アメリカ海軍の軍人でしたが、殺されてしまいました。
昨年、コロナウイルスが全世界に流行り出した時、当時のトランプ大統領が“中国ウイルス”と呼び、中国が意図的にコロナを世界中にばら撒いたと、中国バッシングを展開しました。オラが大統領がそう言うなら、俺たちも回りにゴチャゴチャいる中国人をイジメても良い、問題にならない、よい気晴らしになると、一挙に中国人イジメが始まったのです。
トランプのお墨付きを得た、容認された暴力になったのです。ナチスドイツ時代にゲシュタポ(秘密国家警察)だけでなく、一般市民もユダヤ人に暴力を奮い、それを誰も止めようとせず、官憲もそんな破壊行為を煽ったことが思い出されます。
中国人イジメといっても、アメリカ人にとって、アジア人なら誰でも中国人に見えますから、暴力をふるう人にしてみれば、アジア人のような顔付きをしていれば、中国人だとして襲うのです。去年(2020年)の3月から12月までの間、アメリカ国内で、BBCによれば2,800件、アメリカのCNNなどでは3,000件以上、アジア人に対する暴力事件が起こっています。
その暴行犯が何人逮捕されたかの数字は出ていません。恐らく、ほとんど捕まっていないでしょう。中には、死んだ動物、猫や犬の死体を玄関先に置いていったり、アジア系アメリカ人の子供の誕生パーティーの最中に襲撃するなど、陰湿な事件が連日のように起こっているのです。
バイデン大統領は、就任50日目の演説の中で、アジア系の人に対する暴力はアメリカの民主主義に反する、反逆的行為だと非難し、アメリカの恥部だとさえ言って非難しています。
ですが、アメリカが黄禍(Yellow Peril)騒ぎに憑りつかれたのは、これが初めてではありません。西部開拓時代、ゴールドラッシュの時に鉄道敷設や鉱山の使い捨て労働者として大量に移民を受け入れていながら、ブームが去ると、邪魔になった中国人を、黄禍だと差別し、イジメ抜いています。そして、第二次世界大戦を挟んだ前後には、強烈な日本人バッシングを国が音頭をとって展開しました。
黄色い肌を持った(本当は黄色くはないのですが…)ダンナさんを持つ身にとって、このアジア人バッシングは心安らかでありません。万が一、ヨレヨレのアジア人のお婆さんがイジメに遭っている現場に彼が居合わせたら、前後のことなど考えずに飛んで行って、そのお婆さんを救おうとするタイプなのです。右翼マッチョたちは、アレッ、もう一人変な爺さんが飛び込んできたぞと、彼をボコボコに殴ることになるのは目に見えているのです。それに、どんな場所にでも飄然とヒョコヒョコ入り込む性格ですから、余計に心配させられるのです。
そんなことを彼に言うと、「そりゃ、余計な心配というもんだぞ、アメリカの歴史では黒人はいつもこんな目に遭ってきたんだから、俺たちアジア系も黒人運動を学ばなきゃならんと思うよ。日本人も関東大震災の時に、朝鮮人、中国人を随分イジメ、殺したからな~」などと、自分がどこかで襲われる心配など全くしていないようなのです。
彼が心配するまでもなく、若いアジア系のアメリカ人は、積極的にデモンストレーションを行い、“Asian is not a Virus, Racism is a Virus.”(アジア人はウイルスではない、人種偏見こそウイルスだ!)と書いたプラカードを掲げて、アジア系に対する反暴力運動を繰り広げています。
元々、アメリカは人種の坩堝(ルツボ)、移民で成り立っている国ですから、それぞれの国から持ち込んできた文化、教育、伝統、宗教が、アメリカの中で摩擦を起こし、問題が生じるのは分かります。でも、それら独自のアイデンティティーが切磋研磨され、あるいは互いに学び合い、アメリカの中で育っていかなければ、こんな雑多な人間が寄せ集まった国に将来はないと思うのです。
決して“ヘイト・クライム”(Hate Crime;人種、宗教の違いを根にもつ犯罪) を許してはならない…と信じています。
このコラムにしては、私の手に余る、とても重く、大きな問題を取り上げてしまいました。抵抗できない、弱い者イジメ、果ては殺人まで犯す人間に、どうにも我慢できなくなってしまい、書いてしまいました。
-…つづく
第701回:銃を持つ自由と暴力の時代
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