第699回:西欧人は空間畏怖症!?
私が日本で初めて借りた吹田市の二軒長屋はとても古い家でした。戦災に遭わなかった地区なので、もしかすると戦前の建物だったのかもしれません。六畳二間に台所、トイレはベランダのはずれ、突き当たりにあるという典型的な日本住宅でした。
そんな家にも床の間がありました。床柱というのかしら、節がボコボコ出ている柱に支えられたくすんだ空間があり、そこにたぶんコピーでしょうけれど、掛け軸が下がっていました。こんな小さく狭い貸家にさえ床の間という小宇宙、空間を作っていることに、半ば呆れながら感心しました。
入居間もなく、私はお琴を習い始め、すぐにお琴を買いました。そのお琴を立て掛けておくのに床の間が格好の場所を提供してくれたのです。最初はお琴、それから春になり、使わなくなったコタツ、ダンボールの箱などに床の間が占拠されるまでには、実に早かったのでした。
新築の家では、次第に床の間を造らなくなったようです。ダンナさんの実家である北海道では、2軒だけ見ました。一軒は彼の叔父さんの家で、叔父さんはお茶の教室を開いていましたから、茶室に床の間があり、季節の花が活けられていて、何やら本格的な掛け軸が下がっていました。もう一軒は義理のお姉さんのところで、恐らくお姑さんのために造った和室があり、そこに立派な床の間がありました。
ですが、ある年、3人の子供たちのスキー、スキー靴置き場になっていました。床の間は長いものを置くのにとても便利なトコロです。狭い日本の住宅の中にあのような空間、小宇宙を作り管理するのはとても大変なことのようです。義理のお姉さんが家を建て替えた時、新しい家に床の間も和室も造りませんでした。
日本の家屋では、あまり壁に絵を飾ったりしないように見受けられます。もっとも、銀行が配るカレンダー、日めくり、小学生がいる家庭では、その子が描いた絵をピンで留めてあったりしますが、油絵を額縁に入れて飾るスペースがなく、それを眺める距離も取れないからでしょう。でも、部屋の仕切りや欄間に、亡くなった人の修正をたっぷり施した大きな遺影写真がこちらを見下ろすように飾ってあったりし、それが何枚もあると、なんだか不気味で、そんな部屋ではよく眠れませんでした。
サザビーズ(Sotheby's)などの絵画のオークションで、実にたくさんの絵画が日本人に競り落とされました。もっとも、最近ではアラブの石油成金や中国勢に負けているようですが…。それにしても、膨大な数の絵画が日本に流れ込みました。でも、一体それらの絵はどこに飾られているのでしょう? きっと、私が足を踏み入れたことがない、景気の良い大きな会社の社長室の壁にでもぶら下がっているのかも知れませんね。
日本の家屋とは対照的に、西欧の家、アパート、コンドミニアムには白い壁のスペースがあり、そこに模写、印刷、売り絵のタグイが掛けられています。中には哀しくなるほどヘタクソな絵が立派な額縁に飾られていたりします。そして、家族の写真、スナップ写真もありますが、結婚記念、銀婚式、金婚式、そして子供たちが学校で毎年撮られる写真、卒業記念写真(これは幼稚園、小学校、中学校、高校、大学とあります)が仰々しく額縁に入れられて、コレデモカっという風に廊下、居間、ダイニングの壁に隙間なく埋めるのが、室内装飾の第一歩のようなのです。
スペインでは、それに加えて聖画というのかしら、キリスト誕生、受難、それにマリアさんの絵が加わりますから、とても賑やかなことになります。大雑把な言い方ですが、ともかく西洋の住居には絵を飾るスペースがあり、そこをヘタクソな売り絵でも、写真でも、模写でも、何でも良いから全面埋め尽くさなければ気が済まないようなのです。それが教会に始まり、王宮、宮殿、貴族の館、そして、普通の家まで浸透しているのでしょう。
西欧人には一種の“空間畏怖症”と呼びたくなる性癖があり、なにもない空間、とりわけ白壁などがあると、精神的に落ち着けない傾向があると言ってよいでしょう。それは教会、とりわけカトリックでキンキンギラギラに飾り付けた祭壇、多くはキリストの生涯、受難の極彩色彫刻、絵画でゴテゴテと飾るのは、近世まで圧倒的に文盲が多かった社会ですから、分かるような気がします。
しかし、その両サイドの壁も隙間なく埋め尽くされた聖人たちの礼拝堂は、絵画、彫刻で埋められており、空白を作ることが禁じられているかのようです。そんな教会、カテドラルの醜悪な美的感覚が、西欧の一般家庭に持ち込まれているように思われます。
比較的何もない空間のままソッと放ってあるのは病院の廊下だけでしょうか。最近では、待合室は大型テレビに侵されていますが…。
それと、もう一つ白壁の空間がふんだんにあるのは、修道院でしょうか。私はそこに住んだことも、これから入る予定もないのですが、映画や写真で観ると、実にスッキリとした空間があり、安らぎを覚えさせられます。
私もいつか何もない空間、壁のある家、できれば床の間のある和室を持ちたいものだと心の片隅で思っているのですが、なにせ、実用一手張りのダンナさんと一緒にいる限り、そんなスペースを持つことは夢また夢なのです。そんな余分な空間があると、彼が自分で作ったメモがたくさん書き込めるカレンダー、それに覚え書きがピンで留められ、最近、目が遠くなってきた彼にでも読める大型の時計、雑然と積み上げられた本(これは近いうちに雪崩が起きるでしょう…)で、幽玄なる床の間的空間を持つことは、見果てぬ夢なのです。
-…つづく
第700回:アジア系アメリカ人受難の時代
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