第693回:引退後の生活の極意は?
2019年12月末日を持って完全に引退してから13ヵ月経ちました。同僚の先生たちからうらやましがられ、と同時に一体1日24時間、何をして過ごすつもり? とよく訊かれました。晴れて退職、引退の1年目は1月と2月はスキー場近くにアパートを借りてスキー三昧、3月から4月にかけては、私たちの森の整理…といっても、松食い虫にやられ、立ち枯れした大木をダンナさんが切り倒し、そこから出る大量の小枝をトラックで運び、直径4メートルほどの家畜用の水タンク(もちろん空です)に入れ、少しずつ燃やすのが私の仕事になりました。
そして、晩春から夏、秋は山歩き、キャンプ、ハイキングと、退屈している暇などありませんでした。もっとも、何をやっても自分自身を楽しむことにかけては天才なダンナさんに吊られるように、わたしも彼流の時間の過ごし方に同化されてしまった…と言ってよいと思います。あの人は、絶海の孤島に流されても、アルカトラス刑務所の独房に入れられても、何らかの楽しみを見出すのでないかと思いますよ。
今年もまた、スキー場近くの町で、毎日スキーの後、インターネット、ケーブルテレビ、ストリーミングの映画と最初の2週間くらい、よくテレビのスクリーンに見入っていましたが、やはりテレビはアキますね。この頃では、二人とも全くテレビを点けなくなりました。そして、気が付いたのですが、引退生活を豊かに過ごすのに、ホントにモノは必要ない…ということです。欲を言えば、近くに図書館があれば、それで十分だと思うのです。
引退生活初年度は、コロナ禍ですっかり予定が狂ってしまいました。好きな旅行ができず、音楽会、コンサート、リサイタル、音楽祭にも行けず、サーテト、これから存分に飛び回るゾ…と画策していた矢先ですから、予定は未定と思い知らされ、初めの頃は閉塞感というのかしら、どこにも行けない、人に会えないことに、少し落ち込みましたが、そんな状態にも少しずつ慣れ、現実を受け入れることができるようになってきた…と思います。恐らく、これからの将来、コロナ禍以前の世界には完全に戻ることはないでしょう。
私の同級生、従兄弟たち、同僚の先生も続々と引退し始めました。引退生活を存分に楽しんでいる人には、一つのパターンがあることに気が付きました。生活は働いている時からの継続ですから、引退したからと言って180度、その人、その家族の生活が変わるわけではありません。
アメリカ人の典型的な引退は、馬鹿デカイキャンピングカーを引っ張って、アメリカの国立公園を回る、そして全国に散らばった子供たちの家を訪れるというものです。確かに引退し、一挙に日常性から開放され、旅に出ることはとても魅惑的に聞こえます。でも、旅に不向きな性格の持ち主が意外と多いのです。それに、それまで夫婦共に別々の職場で働いていたのが、引退とともに24時間顔を付き合わせることになりますから、悶着が起こって当然です。 どうも人間、引退したからと言って、急激に生活様式を変えるのは、どこかに無理が生じるようなのです。
引退生活を本当に楽しんでいる、上手いことやっているな~と思えるのは、マア、あくまで外から観た感じですが、現職に就いていた時から、多彩な趣味、興味を持ち、自分の楽しみを持っていた人たちです。その良い例が、私の弟のトムです。彼はハイテック関係の会社で働いていた時から、ジャズバンド、地元のオーケストラでトロンボーンを吹いていましたが、引退と同時に、学生時代から弾いていたクラシックギターを本格的に習い、練習し始め、音楽活動だけで、現役の時より忙しい、と彼の奥さんが言っています。
トムは好きなことに没頭できる時間を持てるのは幸運だ、欲を言えば、今の倍くらいの時間が欲しいなどと、贅沢なことを言っています。今では、トムはジャズのビックバンドのバンドマスターで、演奏会の選曲、編曲アレンジを手掛けています。加えて、オレゴン州西海岸のいくつかの街が合同で組織しているオーケストラの主席トロンボーン奏者であり、ギターでは高名なギタリストと二重奏をするほどの腕前です。私のダンナさんでさえ、「トムほど充実した定年退職者は見たことがない…」などと言っています。
私の同級生も続々と退職し、年金生活に入りました。高校時代の同級生ジュディーは、恐らく世界で初めてマイルが貯まるとタダで飛べる、今ではすべての航空会社がやっている“マイレージ・プログラム”を作り上げたコンピューター・プログラマーです。職場もTWA、アメリカン、そしてアラスカエアーへとヘッドハントされるように渡り歩いた実績があります。彼女は「もう、コンピューターはタクサン! うんざりした…」と、定年後、しばらく婦人運動と動物愛護、そしてハンドクラフト造りに打ち込んでいました。とりわけモザイクが大好きで、イタリアに数ヵ月滞在し、モザイクのノウハウを学び、彼女の豪華邸宅のガレージの半分はモザイク工場になっています。
ジュディーは、元々ファンタジー小説、映画が大好きでしたから、『マジシャンズ(THE MAGICIANS)』(私は観たことがないので、説得力に欠けますが…)という人気TVドラマシリーズにのめり込み、その長いシリーズが2、3年前に終わった時(編集部注:アメリカでは2020年の4月1日に終了したようです)、出演者が着ていた衣装を全部買い取ったのです。それはそれは大変な量で何十トンにもなるでしょう。その衣装を“e-bay”で小出しにオークションにかけていったのです。最初の何着かの衣装であっさりと元が取れ、今では、税金対策に頭を痛めるほど、収入が増えてしまいました。なんとも贅沢な悩みです。
従兄弟のジェリーは、カンサス州で中学校の校長先生を早期退職し、それと前後して離婚しましたから、それまでもファナティックなほど好きだったマウンテンバイクとブルースに打ち込んでいます。大きなSUV車に自転車を2、3台載せ、私たちの山小屋にも3度来ました。何でもアメリカ50の州のマウンテンバイクルートを全部回る予定だと言っていました。去年、私の母親の葬儀の時、彼に会い、訊いたところ、すでにハワイとアラスカ以外の州はすべて回ったと言っていました。ブルースのコンサートへ、彼に引きずられるようにして何度か行きました。彼自身、歌ったり、楽器を演奏したりしないのですが、有名なミュジシャンとツーカーの友達のような関係のようでした。“追っかけ”とでもいうのでしょうか、好きな演奏家のツアーにほとんど付き添うように旅して回っているのです。
そして、今ここにスノーグース・スキーグループの面々がいます。老人スキー愛好会です。もちろん全員とっくの昔に引退している後期高齢者たちです。私が一番の若造なのです。70、80歳を過ぎてもスキーへの情熱はとても熱いものがあります。彼らに共通しているのは、エネルギーの量の多さ、好奇心の旺盛さです。そして、一つのことに、この場合はスキーですが、打ち込むことができる人は、他の多彩な趣味、勉学にも没頭でき、呆れるくらい様々なことに楽しみを見出していることに気が付きました。
私も彼らの精神的な若さ、一瞬一瞬を思いっ切り楽しむ精神を身に付けなくては…と思っています。
-…つづく
第694回:ドキュメンタリーは面白い!
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