第690回:理想的な婦人像と“女大学”
新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
年明け早々、アメリカの政治はとんでもないことになっていますが、このコラムで取り上げるにはあまりに大きく、重いので、私流のコラムで始めたいと思います。
“女大学”と言っても、エリート女子大のことではありません。
平安朝時代の女性の文学活動が盛んな時期のことを調べ、簡単な女流文学史を振り返っていたところ、つい、時代を下ってしまい、江戸時代に“女大学”という本が女性の教育に使われていたことを見つけたのです。
これは、そのような大学があり、そこで使っていたテキストか何かなのかと思い、雑学の大家らしきダンナさんに尋ねたところ、江戸時代に女子大なんぞあるわけないだろうに、“女大学”というのは女性はこうあるべしと説いた儒教的道徳の本で、元本は確か貝原益軒の『和俗童子訓』の五巻、女子を教える法を元に儒学者どもが都合の良いように書き加えていったモンでなかったかな……と言いながら、彼の蔵書の中から、貝原益軒の元本を引っ張り出してきたのには驚いてしまいました。
こんな古臭い本、一体今どき誰が読むのでしょう。それに、大学の国文科の教員室ならともかく、アメリカの山小屋にまでこんな本を運び込み、蓄えているのですから、これじゃいつ本の重さで床が抜けてもおかしくありません。
女はすべからず、夫に従い、尽くし、夫の両親、家のためにすべてを投げ打ち奉仕し、子が成してからは子に仕えるべし、とそれを事細かにもっともらしく“四行”だの、“三従”だの、“七去”、そしてお嫁さんの行く前の十三ヶ条などと痒いところに手が届くようにコマゴマといかに理想的な婦人になるかを書いているのには呆れ果ててしまいました。
「オメーも少しはこの“女大学”を実践したらどうだ」と言うのです。とんでもない、こんな本、ウーマンリブの敵というだけでなく、現代女性が読んだら、怒り狂って、破り捨てるか、燃やすでしょうね。
でも、“女大学”は、体制べったり、事なかれ主義の無能な男どもが、いかに女性をコントロールしようとしてきたかを知るには、とても役に立つ本だと思います。
私のお姑さん(ダンナさんの母親)が結婚した時、お爺さん(ダンナさん父の父)の挨拶は、「3年して子無きは去れ」だったそうですから、“女大学”の”七去“は生きていたのでしょう。
貝原益軒先生、38歳の時に16歳の”お初“さんと結婚しています。貝原先生、旅行が大好きで、地元の福岡から江戸へ12回、京都、大阪へは24回も行っているそうです。そして、その都度、芸者さんを揚げての宴会、遊女遊びが大好きだったといいます。
ところがお初さん、猛烈なやきもち焼きのヒステリー症で、貝原先生が帰宅すると、大演題を演じていたといいますから、“女大学”を書いたけど、自分でお初さんをそのように教育し、躾けることには成功しなかったようなのです。
それに加えて、お初さんの方も、ジョーネツ的で不倫を繰り返していたと言いますから、なかなかどうして激しいカップルだったようなのです。以上は、ダンナさんの入れ知恵です。まあー、いつの世でも理論と実践は別物ですが…。
ソクラテスもヒステリー症の奥さんクサンティッペに、弟子たちの面前で頭から水を掛けられ、その時ソクラテス、「雷の後には雨嵐が来るものだ」とうがったコメントを残しています。一般論と各論は分けて考える必要がありそうです。
西洋にも“女大学”に似た本がたくさんあります。女性は常にシイタゲられてきたのであります。有名なのは、ロシアのイワン雷帝(イヴァン・ザ・テリブル;Ivan Groznyi;ロシア語ではグローズニィで“恐るべき嵐”の意味)の時代に“家庭訓”と訳されている“ドモストロイ(Domostroi)”という“女大学”以上の本があり、その中では、結婚したら妻を定期的に鞭でひっぱ叩け、妻に落ち度が何もなくてもビンタを張り、夫たるものの権威と力を誇示せよ、ただしその後で優しくイタワるべし、と本気で諭しているのです。まるで馬の調教なのです。
作者不明の”結婚十五の歓び“という本があります。すべて逆説にもなっていない、皮肉に終始し、結婚の”歓び“はつかの間の幻想で、一旦結婚したとなるとオンナは豹変し、お前の人生に災いをもたらすだけだということを綿々綴っているのです。元本は紀元前4世紀のテオフラストスまで遡るとか、ユウエナリスだとか、4~5世紀の聖ヒエロニムスだとかはっきりせんが、1830年にルーアンの市立図書館で原本の写しが発見されました。
この本も清純、従順な理想の女性像を保つためと、カソリックの修道僧や坊さんがミダリに女性とくっ付かないようにとモラルを押し付けてきたのでしょう。聖職者の反女性、反結婚主義を推し進めるための読み物として相当広く読まれていたようです。もちろん、書いたのはカトリックの坊さんです。
モスリム、回教の国々で、女性の地位がとても低い、家畜同然に扱われ、売り買いまでされている…と、西欧の国の人たちは非難しますが、私たちも歴史の中では女性を相当酷く扱ってきました。
そんな中から、女性ばかりの国“アマゾーン(アマゾネス)”神話が生まれたのでしょう。男に支配されるのはもうたくさんだと、ギリシャの昔から女性たちは思っていたのでしょうね。そこで女性だけで国を創るとガンバッタのでしょう。
そういえば、ギリシャ悲劇(喜劇)の名作に“女の平和”というのがありましたね。アリストパネース(Aristophanēs)が“女の平和”を書いた(上演された)のは、紀元前411年といいますから、男女間のミゾは相当昔からあったのでしょう。
この有名なギリシャ劇は当時スパルタとアテネが延々と果てしない戦争を繰り返していたのに剛を煮やした両サイドの女性たちが、神殿に立て籠もり、セックス・ストライキに打って出るという痛快なオハナシです。
このストライキは決して枯れない地中海のマッチョどもには効果がありそうです。しかし、その方面の精力溢れていない日本の男性なら、ああ良かった、お前しばらくそこに、神殿にでも、どこにでも行ってろ、一人で伸び伸びするには良い機会だ、となるのかもしれませんね。オッと、大変失礼しました。
今年2021年は、そんなストライキを打つ必要がない平和な年になりますように…。
-…つづく
第691回:アメリカ刑務所事情
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