■挨拶は「もうごはん食べた?」 〜バンコク街角通信

増成 ヒトミ
(ますなり・ひとみ)


1968年生まれ。埼玉育ち。大学卒業後勤め人を経て、97年からタイのバンコク在住。几帳面を絵に書いたような性格が、タイに来てから後天性マイペンライ症候群に。「ヒトミのバンコクな毎日」もどうぞ。


第1回:挨拶は「もうごはん食べた?」
第2回:果物で知る季節
第3回:懐かしきふるさとの味
―ソムタム―

第4回:インスタント麺のサラダ
―ヤム・マーマー―

第5回:タイ風洋食?
―パット・マカロニー―

第6回:ほかほかご飯に卵焼き
―カイ・ヂヨウ―

第7回:タイといえばやっぱり?
―トムヤムクン―

第8回:記憶の中の混ぜご飯
―カーオ・クルック・カピ―

第9回:ピンクのスープの海鮮麺
―クエッティアオ・イェンターフォー ―




■連載完了コラム
■My Bangkok Life
〜暮らしてわかったマイペンライの国
 
[全29回]


■更新予定日:隔週木曜日

第10回:蟹を食べるときゃ―プー・パッ・ポン・カリー―

更新日2003/11/06


もう六年も前の話になるのだが、1ヵ月の生活費を1万バーツ(約3万円)と決めて生活していた時期があった。家賃も食費も日用品代も何もかも含めて1万バーツだ。タイ語学校に通っていたその頃は、収入もなく、そう多いとはいえない貯金を少しずつ切り崩しながら毎日を過ごしていた。ごくたまに、ミュージックテープや露店の衣類などを買うのが楽しみで、どこかに旅行をするとか、美味しいものを食べに出かけるとか、そういうこととは縁のない生活だったのだ。

そのタイ語学校の中で一番気の合うクラスメイトがKだった。まだ19歳のKは、家業のラン栽培を手伝うためにタイに来ていた。タイのラン農家と取り引きをするためにはタイ語を覚えた方がいいということで、父親に半ば強制的にバンコクに連れて来られ、タイ語学校に通わされていたのだ。

Kには羨ましい額の仕送りがあり、タイ語学校に程近い、家賃が1万バーツを軽く超えるサービスアパートに住んでいた。わたしも一度遊びに行ったことがあるが、ビジネスホテルのような内装に驚き、密かに自分の住む安アパートと比べたものである。そのKは、学校が終わるとまずアパートに戻り、昼寝をしてシャワーを浴びてから、夜のタニヤに一人で繰り出すという生活を毎日のようにしていた。父親の行きつけの店があり、そこへ行けば皆が良くしてくれるというのがその理由だった。

タニヤにこそ誘われなかったが、彼にはよくご飯をご馳走してもらった。おいしい店があるというので最初に連れて行ってもらったのが、スリウォン通りにあるソンブーンレストランである。蟹などめったに食べる機会のなかったその頃は、看板のネオンの蟹を見ただけでなんだかわくわくしたものだ。ここでわたしは初めてプー・パッ・ポン・カリー(蟹のカレー粉炒め)という料理を口にした。


プー・パッ・ポン・カリー(蟹のカレー粉炒め)

この料理はソンブーンレストランの名物でもある。蟹の身に均一にからみついた卵の味と柔らかさは絶妙で、そればかりを掬ってご飯にかけて食べていた。この料理は“カレー粉炒め”と呼ばれてはいるが、実際にはカレー粉よりもナンプリック・パオ(唐辛子味噌)の風味の方が強く、一気に食べるとお腹の中がじんわり熱くなる。

Kは白いご飯よりも、カーオ・パット(タイ風炒飯)にこれをかけて食べるのが好んだ。それ以降、「どこかでご飯を食べよう」ということになると、わたしたちはたいていここでプー・パッ・ポン・カリーを食べた。食事が済むと、Kはいつものようにタニヤのネオンの中に消えていった。

それから半年ほど経ってからKは日本に帰ってしまい、ときどき電話で近況を聞くだけの時間が流れた。その間、恋愛問題に悩んだり、家業を離れて別の仕事に就いたりという話を聞いていたのだが、去年電話をもらったときに彼の父親が亡くなったことを知った。あまりにも突然だったので、「自分ちの土地と隣んちの土地の境目がわからない」という彼は、嫌々ながらも家業を継がなければいけない立場に立たされたようだ。

わたしはといえば、バンコクのいろいろなところでプー・パッ・ポン・カリーを食べる機会があり、各店の調味料の使い方や具の違いがだんだんとわかってきたところだ。カレー粉の多いところ、玉ねぎやピーマンを入れるところ。蟹の殻を外して、身だけで炒めてもらった方が味もからんで格段に食べ易いことも知った。だが、今はソンブーンレストランでこの料理を食べても、残念ながらあの頃ほどの感動はない。それはわたしの舌が肥えてしまったのか、それともソンブーンの味が落ちたのか。Kと一緒に行けば、あの頃と同じ味がするのかと思ってみたりもするのだが。

 

 

第11回:川魚をおいしく―プラチョン・ヤーン・グルア―


 
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