第73回:ウエーブ・ダンサー その3
7日の夜11時に米国ハリケーンセンターが、“アイリス”の針路を南西に予想したのを受けて、ベリーズ政府は注意報を警戒警報に変更した。ベリーズの中部もしくは南部に“アイリス”がヒットすることは誰の目にも確実になってきたのだ。
この時点で、“ウエーブ・ダンサー”が錨を上げ、ハリケーンの予想針路とは逆のベリーズシティーに向うべきだったと、のちにゴウゴウたる非難を浴びることになるのだが、キャプテン・マーティンはそのままライトハウス岩礁に居座ることにしたのだ。
翌8日、朝5時の予報では、時速20マイルにスピードを上げ、発展しながら、さらに針路を下げ、南西から南南西に移動すると明確に告げている。“ウエーブ・ダンサー”では朝食を摂ったあと、8時過ぎにやっと重い腰を上げ、南のBig
Creekへと航海し始めた。
同時刻の8時にハリケーン“アイリス”はカテゴリーをひとつ上げ4になり、風速140マイル(毎時230キロ)の最大級の大暴風雨に成長した。今、チャート(海図)にハリケーンと“ウエーブ・ダンサー”の位置と時間を追ってプロットしてみると、鳥肌が立つほど宿命的に両者ともBig
Creekへと向かっていることが分るのだ。
なぜ、キャプテンがベリーズシティーに向かわなかったのかは、船の持ち主がキャプテンや生き残った乗組員全員に緘口令をしいているので推測するほかない。一つには前夜行なった投票の結果を重んじたことはあるだろう。ハリケーンの針路予想は近年かなり正確になってきたとはいえ、予想が大きく外れることもままある。
十余年カリブで暮らしたが、ハリケーンが全く逆方向に、西から東に進むのを見たし、グルリと輪を描き同じ場所を2度ヒットしたこともある、一箇所に居座り続けて消滅したものもある。
キャプテンが予想にあまり重きを置かず、また僚船が避難していることもあって、事情のよく知っているBig Creekを選んだのかもしれない。“ウエーブ・ダンサー”が航行している最中、ベリーズ政府は戒厳令にも似た、強制退去命令を出し、海岸線に住む人を内陸へと移動させ始めた。
同日、8日の午後3時半前後、“ウエーブ・ダンサー”は7時間余りかかってBig Creekに着いた。岸壁にすでに舫っていた“アグレッサー”に乗ったクラブの仲間との出会いをとても喜んだ。夕方まで桟橋を散歩したり、クルーの手助けをして、船の窓にX字にガムテープ張ったりして過ごしている。
ここに、ベリーズの25歳になる女性が登場する。アンジェラ・ルックは“ウエーブ・ダンサー”でコックの助手兼メイドの仕事で乗船していた。彼女は数時間後にハリケーンがここBig
Creekにヒットする可能性が非常に高いことを知り、キャプテンに下船を申し出たのだ。しかし、キャプテン・マーティンは、「船を降りるなら、お前は永久に船に戻ってくるな、クビだ。」と言い渡したのだ。
アンジェラは、「それでも、私は降ります。船に残って自分の命を危険にさらすほど愚かではありません。」と答え、他のベリーズ人女性二人、コックとメイドを船から降ろすよう懇願した。が、キャプテン・マーティンはこの2人にも、「降りるなら、クビだ。」を繰り返すのみだった。
アンジェラは二人、コックのエロイサ・ジョンソンとメイドのブレンダ・ワデを一緒に船を降りるように説得したが、彼女らにとってダイブボートでの仕事はチップの実入りがいいだけでなく、大好きな捨てがたい仕事だったようだ。2人はハリケーンの恐怖と仕事を失うことの板ばさみになり無残なほど混乱し、泣きくずれたが、決断をくだせぬまま結局船に残り、死ぬことになってしまった。
後日、アンジェラはテレビ、新聞のインタビューにキャプテンとのやり取りを語っているが、キャプテン・マーティンの方はこのような会話がアンジェラとの間にあったことを否定している。だが、コックのエロイサは夫に電話でその模様を詳細に語っているし、メイドのブレンダも同じ内容の電話を母親にしていた。
乗客とクルーが生き残るチャンスはまだあった。
地元でスーパーマーケットを営み、かつBig Creekの桟橋の株主であるトニー・ザバネンが3度も桟橋まで降りてきて、自分のスーパーマーケットを解放しているから、そこへ全員避難するよう伝えているのだ。彼の店はこの界隈には珍しいコンクリートブロック建てで、ハリケーンの風圧に耐えられる造りになっており、すでに地元の人を収容していた。
最後にはキャプテン、クルーは船に残っても、せめて乗客だけは避難させるように言ったが、キャプテンは岸壁に繋いだ船ほど安全なところはない、と断ったのだ。この件でも、後に、キャプテンと会社は適当な避難場所も交通手段もなく、道路は避難する車とヒトで大混乱していた、よって船に留まることを余儀なくされた、とコメントしている。
彼らの弁明は事実に反する。トニーはワゴン車、マイクロバスを提供すると言っているのだし、道路は渋滞どころかほとんど車が走っていない状態だった。第一、人口5万人の首都ベリーズシティーを離れると、車などめったに見かけないほど、ベリーズはどこもかしこも恐ろしく閑散としている国なのだ。
キャプテンはトニーの最後の申し出を断り、内陸へ逃げる道を自ら絶ったのだった。
…その4へつづく
第74回:ウエーブ・ダンサー その4