第72回:ウエーブ・ダンサー その2
更新日2002/12/19
米国ヴァージニア州のリッチモンド・ダイビングクラブは毎年大掛かりなダイブツアーを行なう。今回は30人の会員が参加しベリーズに行くことになった。しかもホテルに泊り、日帰りダイブを繰り返すのではなしに、船に住み込んでダイブ三昧という豪華なプランだった。しかし、30人ものダイバーを1週間収容し、かつ寝泊り可能なダイブボートがベリーズにはなく、2隻に分乗することになった。
リチモンド・ダイビングクラブの創設者であり、会長のグレン・ピリルマンは、19人のメンバーと伴に“ウエーブ・ダンサー”、他の10名は“アグレッサー”に乗った。その時点でどちらの船に乗るかが、すでに生死を分けることになった。
ベリーズはダイバーやヨッティーにこそ知れ渡った、珊瑚礁天国だ。中南米で英語を公用語にしている唯一の国で、人口26万人少々、中米カリブで一番人口密度は低く、1キロ平方当たり11人しか住んでいない。また、国家予算が140億円相当だから、アメリカのプロスポーツのスーパースターの方が、一人でもっと稼いでいるほどの額だ。ベリーズはそのくらい小さな国である。
リッチモンド・ダイビングクラブの面々は2隻の船に分乗し、ライトハウス岩礁に向かったのは10月6日の夕方6時ころだ。が、その1時間前に米国ハリケーンセンターは、“アイリス”が熱帯性低気圧からハリケーンにランキングをあげ、北西の針路を真西に変えて時速17マイルのスピードで発達しながら進んでいると警報を発していた。ハイチ、ドミニカ共和国、ジャマイカ、キューバは警戒警報状態に入った。
同日、夜11時に“アイリス”の風速は、時速190キロに達した。
翌7日の11時の予報で“アイリス”は36〜48時間の間にベリーズを襲うだろうと警告しているなか、“ウエーブ・ダンサー“は、ライトハウス岩礁に錨を降ろし一日中ダイビングとパーティーを楽しんでいる。
ライトハウス岩礁は広大な環礁で、ベリーズ本土からおよそ50マイル(約90キロ)東にある。この環礁に文字どうり無数の投錨地があり、それぞれが息を呑むような洞穴の多いダイブスポットである。
また、ブルーホールと呼ばれる真ん丸い井戸のような深みが珊瑚礁にポッカリと開いている。まるで巨大なドリルで穴を開けたこように、垂直にスッポリと120〜130メートルほどの深さまで到るのだ。
バハマやカリブの上空を飛ぶとそのようなブルーホールを見ることができる。なぜこのような真ん丸く深い穴が珊瑚礁にあるのか、満足な説明はない。ベリーズ、ライトハウス環礁のブルーホールはとりわけ有名で、ダイバーの神殿的様相さえもっている。
ヴァカンスの第一日目は常に興奮するものだ。リッチモンドの面々もライトハウス環礁で狂喜した。だが、すぐ隣にあるグローブ岩礁のマンタリゾートではその時、すでに客も従業員も全員本土撤退を開始していた。
チャーターキャプテンの仕事は、通常の客船や貨物船のキャプテンと異なり客を如何に楽しませるかが重要なポイントになる。チャーター会社や船主も客受けのよい、また会社の要求をよく聞いてくれるキャプテンを選ぶ傾向がある。
“ウエーブ・ダンサー”のキャプテン、フィリップ・マーチンがハリケーン“アイリス”の動向と政府の勧告を知らなかったとは考えられない。“ウエーブ・ダンサー”には通信機器、レーダー、ウエザーファックス(定期的に天気図を受信できる装置)は全部そろっていた。
私自身何度も体験したが、ハリケーン到来の24時間前までは風は凪(ナギ)、太陽が輝きを増し、空の青さがいっそう濃くなり、ホントにハリケーンなんかくるのかと思いたくなるほど、よい天気になるのだ。キャプテン・マーチンがお客に心配させず今日一日存分遊ばせてやれと判断したのは、大きな誤りとはいえないだろう。
7日の午後2時、ベリーズ政府はハリケーン注意報を出し、海岸沿いの村やリゾートは内陸部への移動を開始している。同日の夕食のとき、通常いかなる船の上でも決してやらないことをキャプテンが一つやっている。
乗客すなわち船をチャーターしたダイバー客に船をどこへ移動させるか、またはこのままダイブポイントに居座るかの進退を訊き、投票じみたことをさせているのだ。ベリーズシティーに向かえば2日のダイブをあきらめなくてはならないが、Big
Creekなら1日だけで済むと説明したのだ。
これはキャプテンにとって一つの逃げであり保険である。ハリケーンが逸れ、避難に要した時間、日数が無駄になった場合(実際には無駄ではないのだが)、西欧人は必ずと言ってよいと思うが、その時間、日数分の旅費を返せと要求するのだ。
“ハリケーンに遭ったのならあきらめもしよう、しかし船長の判断が悪かったせいで私たちの休暇を削られるのはかなわん”という理屈だ。投票じみたことをしておけば、キャプテン、船主側は、“決めたのは貴方がただ”とつっぱねることができるというわけだ。
大切なチャーター客のご機嫌取り政策だろうが、危機が迫った船の上では陸上の甘い民主主義は成り立たない。だが、キャプテンもダイバーたちも、その時点で当然抱いていいはずの危機感は全く持っていなかった。
投票の結果、圧倒的多数で、まるでハリケーンの目に飛び込むように、Big Creekに向かったのだ。
…その3へつづく
第73回:ウエーブ・ダンサー その3