第69回:クレブラ島
更新日2002/11/28
プエルトリコの東端とヴァージン諸島の丁度中間にクレブラという島がある。距離にして25マイルだから、イスレタから島影が見える近さだ。
もう幾度となくクレブラ島を訪れ、今でこそ岩礁のカタチや位置を隅々までよく知っているが、最初、セントトーマスからクレブラ島にアプローチした時のことは忘れられない。
潮に予想以上流され、進入航路を遥かに行き過ぎてしまったのだ。暗礁が目前に広がり、暗礁の位置を知らせる航海標識が見つからない。そこへイルカの小さな群れが現れた。十数頭くらいのものだろうか、ヨットを導くように船底をくぐり抜け、ジャンプしながら同行し進入航路へ向かったのだ。イルカたちは湾の中まで私たちを案内し、どこへともなく消えていった。
連れ合いはイルカがはっきりとした意図を持って道案内をしてくれたことを疑わない。こうして私たちが多くの休暇を過ごすことになるクレブラ島のお気に入りのアンカレッジ、ダカティに錨をおろしたのだった。
十数年前、クレブラ島はまだ離島の生活感がフンダンに漂っていた。野菜と肉が買えるのはフェリーが入る水曜日の週1回だけで、船着場に買い物籠をぶら下げた島民が集まりだし、まず番号札を貰うのだ。フェリーから野菜、雑貨を満載した恐ろしくボロな小型トラックが危なっかしげに降ろされ、“何番さーん、居るかい?”、“私ですよー“、と買い物が始まるのだった。
週2便あるフェリーがプエルトリコ本土との間を結んでいるだけだった。緊急を要する病人用に時代物の単発セスナが政府の援助で待機してはいたが、パイロットのオーランドは、自分の30フィートばかりのヨットで何時も酔っ払っていた。島民はオーランドの飛行機で運ばれるのはどんな病気よりも危険だといって利用しょうとしなかった。
オーランドが何かの都合でプエルトリコに飛ぶとき、便乗させてもらったことがある。車や船はすざましいボロでもなんとか走るのは経験で知っていたが、彼の飛行機、正確には地方政府が医者を島に置くより安上がりだという理由でオーランド付きで買った飛行機は、スクラップ寸前のものだった。4人乗りのセスナに一応ドアは付いているが、閉めることができないのだ。不細工な針金の輪をフックに引っ掛けることで、辛うじて飛行中にドアが開くのをおさえているだけだ。
2年後、島民が予想した通り、彼の飛行機は飛行中にエンストを起こし海に軟着した。乗っていた彼と彼のガールフレンドは無傷で救助されたが、飲酒と私用で飛行機を飛ばしたとして、オーランドは面倒な事態に追い込まれてしまった。
クレブラ島は小クレブラ島、カージョノルテ、ルイスペーニャなどの島々と数多くの仰々しい名前のついた岩礁からなる。スペイン語を話すプエルトリコの領内なので、スパニッシュヴァージン諸島などと呼ばれている。カリブ海が大西洋に出会うところなので、遠出せずに島の近くで魚がよく獲れる。またダイビング天国でもある。
私はクレブラ島が好きになり、真剣に島に住むための方策を練ったが、どうにも交通、通信の便が悪すぎるので、あきらめなければならなかった。何時の日か働かなくてもいい身分になった暁には、クレブラ島に棲もうと密かに決めていた。
ところが、私と同じ考えの人が何十人、いや何百人といたに違いない。クレブラ島に建築ラッシュが始まってしまったのだ。訪れる度に家が増え、湾を見おろす恰好の場所にはなんとコンドミニアムまで建ち始めた。以前は、オーランドの飛行機、一機しか居なかった狭く短いデコボコ滑走路は拡張され、見るからに新しいプライベートの双発機が並び、定期便さえ飛び始めた。
私たちのヨットがハリケーンにやられ、半壊したのをどうにかセーリングできるようにするのにほぼ1年半かかったが、修理後初めてのセーリングでクレブラ島に行き、そこで何日か過ごすのを心待ちにしていた。久ぶりに訪れたクレブラ島は悲惨だった。この小さな島は人間がもたらす急激な変化に対応できないようだった。
どこの湾に行っても新しい構築物があるのだ。船、ヨットの数も異常に増えた。プエルトリコ本土から週末にドッと押し寄せるパワーボート、ヨットの群れをプエルトリコ海軍と呼ぶが、昔イルカが付き添うように導いてくれたダカティ投錨地に、その日200隻以上のプエルトリコ海軍が錨を下ろしていたのだ。私たちのヨットもそのなかの1隻なのだから、混んできた投錨地を嘆くのは自分を責めるようなものだ。
私はもうプエルトリコ海軍に加わって、週末やヴァカンスをクレブラ島で過ごすことはないと思う。水曜日の八百屋トラックの替わりにスーパーができ、オーランドのいないクレブラ島になんの魅力があるというのだ。
第70回:カリビアン・クイーン