第23回:そしてハリケーンがやって来た〜その2
更新日2001/10/11
ハリケーンはアフリカで発生し、徐々に勢力を増しながら1週間ほどかけて大西洋を横断し、暴風となってカリブを襲う。途中で北に針路を変えるものや、消滅するものもあるが、大半は西に進みカリブの東側の島々(ウィンドワード諸島)に近づくに従って西北西に針路を変える。
ハリケーンになる前の熱帯性低気圧が、遥か彼方のアフリカで発生した時点で、島の人々は早くも騒ぎ始める。まず家の窓全部にハリケーンシャッターやアルミの板、ベニヤ板を打ちつけて密閉する。そして狂騒じみた買い出しが始まるのだ。ハリケーン到来の二日前に、遅ればせながら我々もアメリカ的な巨大なスーパーマーケットに買い出しに行ったが、すでに80%近い棚がカラッポだった。食料はもとより、乾電池やトイレットペーパー、ドッグフードの類まで在庫なし状態だった。ガソリンスタンドには長蛇の列ができ、すぐに売り切れ閉店となる。これを目にしたときは、「あんたがた、少しやり過ぎじゃないの?」と思ったものだ。だが、それから間もなく、そんな彼らが正しかったことを知らされた。
超大型のアンカーを3個、これまた極太の長いクサリで繋ぎ、非常用のアンカーを静かな湾にセットし、 いざハリケーン襲来のときには、そのチェーンを直ちにヨットを縛りつけるだけ、というシステムを我が家は造ってあった。それは10数冊に及ぶ本から仕入れた知識と海のツワモノどもから集めた実体験情報をもとにかなりの投資をして造ったシロモノで、風速80〜100メートルの大暴風に耐えて、我がヨットを吊り下げても切れないはずだった。
1998年に中型のハリケーン、ジョージズが接近したとき、すでに何度となく繰り返したように、マリーナから我がヨットを出し、ウルトラヘビーアンカーシステムに繋いだ。これまでは、そうやっていくつかのハリケーンをやり過ごしてきたし、今回もそれで充分だと判断したのだ。それがハリケーン到来の2日前のことである。
ヨット乗り仲間のイギリス人老夫妻、子連れのアメリカ人、私の連れ合い、それに加えて総計4匹の犬を私の事務所に避難させ、1日前にもう一度ヨットを見に行った。すると、なんとこの界隈のフリート全部が私にならってアンカーを入れたのではないかと思ったほど、我がヨットの周囲にボートやヨットが累々と係留されているではないか。78隻までは数えたが、まだなお増え続けている状況なのだ。風とうねりの入りやすい我が船の東側には、50フィートほどのフェロセメントヨットと大型の旅客用カタマランがロープだけでアンカーされていた。
これを目にしたとき、もしもハリケーンが直撃したら、この投錨地にあるヨットは潰滅するなという絶望感を抱いたが、実際その通りになってしまった。フェロセメントのヨットも、カタマランも海に消えた。一隻でも流れ出すとドミノ倒しにも似た現象が発生するのだ。
ベニア板で締め切った狭い事務所に寿司詰めになり、少しでもハリケーンがそれてくれることを期待しながら海図にその針路をプロットし続けたが、もはや直撃が避けられないことは明らかだった。電気、水道は24時間前に切られ、事務所のなかは蒸し風呂そのものになった。外では身体を揺さぶるような低いゴーという風の音が聞こえていた。それに高音が混じり出し、やがて皮膚で感じるようなピリピリとした振動音になった。雨が外壁に叩きつける音。時折、何か大きな物体が壁や屋根にぶち当たるのを聴きながら長い夜を過ごしたのだった。
ハリケーンを体験したといっても間違いではないかもしれないが、正確には私はヨットから避難して陸の事務所にいたのだ。その上、窓を塞いでいたのでハリケーンによる音は耳にしたが、外界で何が起こったのかを知ったのは、翌朝、夜明けとともにハリケーンが去ってからのことだった。
<続く>
第24回:ハリケーンがやってきた〜その3