第22回:そしてハリケーンがやって来た〜その1
更新日2001/10/05
ヨット乗りが飽きもせずに繰り返し話題にするテーマは、島々の税関、物価、良いアンカレッジ、安くてうまいレストラン…と、およそ限られているが、その筆頭にあるのが、シケをいかに乗り越えたかという「暴風セーリング談」であろう。おそらくは数限りなく繰り返し語ってきのであろう、講談調にメリハリを効かせた話上手にも会う(こういうヤツの話は、聞くたびに風速や波高が大きくなっていく傾向はある)。ヨットが前のめりに一回転した話や、竜巻に遭遇して、まるで洗濯機のなかの、笹船のごとくグルグル回った話などなど、長年ヨットに乗っていると、誰しもそんな体験談の一つや二つは持っているものらしい。
ところが、ヨットに乗り暮らして20年近くなるというのに、私自身は生命の危険を感じたこともなければ、シケらしいシケに遭ったことがないのだ。いささか迫力に欠けるヨットライフである。常に時間的な余裕を意識してクルーズしていたのもシケに会わずに済んだひとつの理由であろう。ヨットは急ぐときに乗るべきものではない、時間的制約から逃れるためのものだ、急ぐなら飛行機に乗れというのが私の持論である。単に、私が臆病なだけかもしれないが、天候の回復を待つ時間を持ち、あやしくなったら引き返すか嵐から逃げるかする。無理して目的地に突っ込むことをしないやりかたがシケに遭わずに来れた理由のひとつであるに違いない。
1989年のハリケーン「ヒューゴ」は、最大風速時速380Kmを記録し、カリブの島々に壊滅的な被害を及ぼした。そのとき私たちは、偶然にもヴェネズエラへ南下していて、今になって思い出そうとしてもさっぱりわからない理由で長逗留し、おかげで難を免れることができた。ハリケーンシーズン後、島づたいに北上し、セントトーマスの湾に入ろうとしたとき、遠くからは丘の中腹に建てられた家のように見えていたものが、じつは船だとわかって仰天した記憶がある。それが1隻や2隻ではなく、山や崖のあちこちにぺたぺたと張り付いていたのだ。
俗に「ハリケーンホール」と呼ばれているアンカレジがある。進入水路が狭く曲がりくねっていて、外洋のうねりがまったく入らず、アンカーの効きが良い。さらに、周囲がマングローブに囲まれていて、ロープを縛りつけるのに都合が良い場所のことをこんな風に呼ぶ。クレブラ島のカラオンダは、代表的なハリケーンホールとされており、水路誌にもそのように書かれているが、「セブンシーズ」の創設者、Jack
Slasorの報告によれば、そこへ逃げ込んだ97隻のうち、ハリケーン通過後に無事に浮いていたのはたった3隻で、他は沈むか陸へ打ち上げられるかしたという。ハリケーンホールも直撃されればひとたまりもないのだ。マリーナも無事ではなかった。ドミノ倒しのようにボート、ヨットが積み重なり、マストだけ水面から出しているヨットがいるかと思えば、コンクリートの桟橋に乗り上げているボートもあった。
さらに、ハリケーンは陸上にも深い爪跡を残した。風の強さは気象庁発表の数字としては理解できるが、具体的な実感が伴なわないものだ。12〜13階建てのビルを土台からズリズリと7〜8メートルも移動させる風圧。あるいは、バスや乗用車をコロコロと転がす…と説明すれば、少しはその破壊力が想像できるだろうか。世のなかに目にするまでは信じられない光景があるとすれば、そのひとつはハリケーンの驚異的な力だろう。
ハリケーンは台風やサイクロンと同じ熱帯性低気圧のバリエーションである。台風よりは暴風半径がはるかに小さいが、中心部の風速や破壊力は何倍も大きい。したがって、直撃されればその通路にある物はすべて破壊されるが、ハリケーンの中心部から外側に30キロ離れただけでも、風のスピードは格段と落ち被害はおよそ違ったものになる。
ハリケーンゾーンに11年間住み続けた私たちは、シーズンになると天気予報に神経を尖らせて、住居兼ヨットをあちらこちらへ移動させ逃げ回っていたが、ついに3年前、ハリケーン「ジョージズ」に掴まることになった。
<続く>
第23回:ハリケーンがやってきた〜その2