第61回: 裸の船
更新日2002/10/03
西欧人を日本でもてなす時、必ず、100%と言ってもよいが、喜んでもらえるのは温泉である。 相手に、付け焼き刃のジャポニカを押し売りをしなくてすむし、当方が持ち合わせてもいない日本文化の教養を相手に期待せずにすむ。温泉の中でも大浴場のあるところがよいし、個室プライバシーは忘れてもらって座敷に布団を並べ、ごろ寝するのがよい。
互いに裸になると、打ち解ける度合いが格段と違ってくることは請合ってもよい。我々は同姓の裸に慣れて来たし、風呂屋の番台に異性が、まあほとんどの場合、枯れたオジン、オバンだが、いても気にも留めなかった。
地中海のバレアレス諸島のイビサにしばらく住んでいたことがある。まったくの偶然から、小さな湾を見おろす、崖の上のアパートを借りることができた。地中海の海辺はおよそどこでも裸だが、とりわけイビサでは裸化が進んでいたようだった。私の借りていたアパート近くのビーチにも夏になると裸族がたくさんやってきた。
ヌーディストビーチというと、プレイボーイの雑誌から抜け出てきたようなグラマーな女性を想像しがちだが、おじいさん、おばあさんが日光浴をし、そのそばで孫どもが駆けずり回り、痩せもデブもノビノビと転がり、時折体を冷やすために海に浸かる、お風呂屋さんか温泉気分なのだ。
ところが日本からやってきた友人たちは、まず100%、私のアパートのテラスにかじりつくようにビーチを見降ろし、望遠レンズ付カメラでバシャ、バシャ、シャッターを切るのだ。
私が取り分け柄の悪い友人を持っているわけではない。連れ合いの従兄がアメリカからやってきたが、これも大型カメラのシャッターを切りまくっていた。オイオイ、お前らいいかげんにしろ、と言いたいところだ。
あるアメリカの旅行会社が裸専用の大型クルーズシップの航海を企画した。これが当たった。そうなると他の会社もこぞって裸クルーズ船を仕立てだしたのだ。2001年に大手の‘Carnival’が裸船の乗客を募集したところ、2,000人の定員が即満席になったという。この裸クルーズの商売上の強みは70%以上がリピーターだというところだろう。一度乗ると病みつきになる傾向があるらしいのだ。
乗客の90%以上はアメリカ人だが、存外にキツイ、アメリカの社会的制約からの解放が大きな要素になっていると思われる。裸になると階級、地位が消滅するからだ。裸文化の根ざしたヨーロッパ、風呂・温泉文化のある日本では裸クルーズは成功しないだろう。
ちなみに、私のヨットも地中海をセーリングしていた時は、裸ヨットだった。社会的制約のためではなく、時折ゲストとして乗ってきたスペイン人、ドイツ人らが裸で気持ちよさそうにしているのに当てられ、我々も自然裸になってしまっただけだ。そして海水で濡れた水着を肌にまとわりつかせていたのが、いかに不愉快なことであったかを知ったのだった。
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