第60回: 悪役 その3
更新日2002/09/26
初めて、海中でサメに出会った時は全身泡立つほど恐ろしかった。悠然と泳ぐさまは、まるで海の王者のような貫禄があり、尾ヒレを軽く振るだけでスーッと加速し、深い緑青色に溶け込むように消えていった。
賢明な君子たるもの、四方八方に眼を飛ばしつつ、すみやかにヨットへと引き上げたことだ。
船上で図鑑を開げ、今ご対面したサメは誰であったか調べようとしたところ、シュモクサメ以外はどれもが同じように思え判別できず弱った。“家庭の医学”をヒモ解くと、すべての症状が自分に当てはまるような気がしてくるのと同じである。その上人間、恐怖心が先にたつと、観察能力がなくなることを知らされたのだ。
その後、多少の経験を積み、幾度もサメに出会い、また、フランス人のプロダイバーでサメハンターのクリスに連れられて潜るようになってから、サメがいつも人間に喰らいつくわけではなく、逆に臆病な面があることを知った。
そうこうするうちに、背ビレや尾ヒレの一角を見ただけで、どんなサメであるか判別できるようになったのだ。今でもサメに会うのは恐いが、同時に彼らの無駄を一切取り払った美しさ、優雅な動きに魅せられてもいる。
現在、知られているサメは370種いるが、人間を襲うのは10種くらいのもので、Great White、Tiger、Bullが三役で80%を占めている。TigerもBullも外洋だけでなく膝の深さの浅瀬までやってくるし、とりわけBullは淡水、濁った水、ヘドロに近い水と、人間の生活圏の間近までやってくる。私も何度か、Bullシャークがリーフに腹を擦らんばかりの浅瀬を回泳しているのを見た。ミシシッピィ川を溯り、アメリカ中西部の町、セントルイスまでもきている。
サメが血の匂いを嗅ぎ分けるのは事実だが、水中では匂いは遠くまで広がらない。むしろその聴覚がサメを呼び寄せると考える方が当たっているだろう。とりわけ、断末魔の魚のバイブレーションは500〜600メートル先から聴き分け、突進してくる。
プエルトリコの東にある、私たちのセーリング、ダイビングパラダイスであるクレブラ島でスペアフィッシング(水中銃での漁)をしていた時、ジョアンが突いた40センチほどのスズキをアッという間にBullシャークに槍ごとさらわれた。
その時私は4メートルばかり離れたところにいたが、Bullがきたことを全く知らなかった。気が付いた時には、Bullは槍を爪楊枝のようにくわえて海の青の中に溶け込んでいくところだった。
一旦近づくと、海水に100万分の1、血が混ざっているだけで嗅ぎ分ける鼻がものをいう。また尖った鼻先の真下に、電波を感知するセンサーがあり、餌になる魚や水中生物が発する弱い電界を捕える。まさに現代科学の粋を集めても造り得ない機能的創造物なのだ。
サメの狂暴な攻撃性は男性ホルモンの一種、Testosteroneが作用しているとされているが、Bullシャークに至っては地球上のどの生物よりTestosteroneの量が多いのだ。Testosteroneは我々の身体でも、変声期に始まりハゲに至るまでマッチョを司っているが、最近では乳ガンの治療に使われ始めた。なによりも、性欲を高め、オトコをオトコ足らしめんことに絶大な力を発揮する…、そうなのだ。
少なくともカリブの島では新鮮なサメ肉は、その効果のほどは実証済みとの評判である。もちろん私も効果のほどを、もっぱら科学的見地から証明すべく、大量に食べたが、一緒に飲んだラム酒のせいか、惰眠をむさぼっただけだった。
第61回:
裸の船