第19回:我が島のこと
更新日2001/09/13
私たちが住んでいる島は、プエルトリコ本土の東突端から、小さな渡し船でさらに7〜8分のところにあり、その名をCayo
Obisubo Cardonaという。かなり詳細な海図でもインクのシミほどにしか載っていない。
「Cayo」というのは、浮き島もしくはごく平らな砂州のことである。またこんな長たらしい正式の名前は誰も使わず、知っている人も少ない。人々は単に「Isleta(ちっちゃな島)」と呼んでいる。長さはおよそ200メートル、幅70〜80メートルの砂州で、島と呼ぶのがはばかられるような所である。そこに我がアトランチスを舫っている。
総人口は13人。夏の週末にはドッと増える、といっても70〜80人くらいのものだろうか。こんなところにもジョージの店と呼ぶ店兼食堂のような「なんでも屋」があるにはある。いったい全体、どうやってショーバイを成り立たせているのか謎だが、ともかく潰れずに存在し続けている。店の棚は恐ろしく空っぽで、ホコリをかぶった袋詰めの菓子やポテトチップなどが散らばっているだけだ。冷えたビールとラムパンチだけが主な商品であろう。郵便配達はない。電話回線もないが、携帯電話の恩恵を受けられるようになった。
常住組は当然、互いによく知り合うことになり、山間の狭い村にも似た共同体意識が育つことになる。 結果、和気あいあいとした家族的な雰囲気が生まれもするが、適当な距離を置いての人間関係は望むべくもない。
先日、ためしに我がヨットに何人の人々が訪れるか数えてみたところ、延べ人数で17人だった。これが平均的な1日といっていいだろう。「サーノー、ドリル貸してくれ」「新聞と本持ってきたけど交換する本はないか」「ステイの張替え手伝ってくれ」などなど。また、さしたる用事はないが、ビールやラムをぶら下げてやって来るヤカラも多い。
こんな島に住む特権の1つは、プエルトリコ本土では異常に多い犯罪から逃れることができることだ。泥棒も強盗もわざわざ船を仕立ててまで貧乏ヨットに押し掛けてこないのか、ここにいる限りヨットに鍵をかけたことはない。対岸でピストルを撃ち合う音やけたたましいパトカーのサイレンが海面を伝わってくるが、こちら側まで弾はとどかない。
そして海の水がきれいなので何時でも泳げるし、貿易風がなにものにも遮られること無く吹き抜ける。これらは掛け値のないものだ。少々狭すぎる社会を我慢さえすれば、の話だが。
私自身、けっしてそんな村意識が嫌いではないが、ときとして逃げ出したくなることがある。これがヨットに住む利点なのだが、そんなときは舫いを解いて船を出し、近くにたくさんある無人島にアンカーを入れ、2〜3日過ごすことにしている。
突然、連れ合いの友だちが、米国から訪ねてきたことがあった。渡し船の船頭は彼女に言ったものである。「ジュリー(連れ合いの名)は本土のスーパーに買い物に出かけているし、サーノーはマリーナのシャワーに行っているから船には誰もいない」と。ひょっとするとご近所の間に夕食のおかずの献立まで知れ渡っていかねない環境なのだ。
あまり狭い社会に住むのは、やはり考えものではある。
第20回:ヨットの経済学