第11回:ジェトセットの島
更新日2001/06/21
カリブとは、カリブ族という海洋民族の名に由来している。もともと南アメリカ大陸のオリノコ川流域に住んでいた、水に馴染んだ民族だったようだ。さらに、アラワック族、タイノ族と呼ばれるグループに分類されたりもする。島としては例外的に大きいイスパニョーラ島やキューバ島、それから、かなり小さくなるがプエルトリコをのぞけば、それ以外の島々は遺跡を残すような王国を築くには余りに小粒であり、コロンブス以前のカリブ族の生活記録や遺跡はほとんど残っていない。大きな島の方には、原始インデアンの住居址、洞穴を見ることができるが。
原始インデアンのカリブ族やアラワック族、タイノ族などは、コロンブス以降に絶滅し、アフリカからの黒人奴隷が大量に送り込まれ、島々でのプランテーションの使い捨て労働力として利用された。カリブの島々は英、仏、西、米、オランダの植民地となり、ある島はアフリカからの奴隷を太らせ、高値でアメリカに売るための基地となった。悲しい歴史は近年に至るまで続いたのである。
セント・バーツ島に入国すると、誰もがこの島に他のカリブの島とは違った印象を受けることだろう。入国手続きからして、歓待されている感じがするのだ。そして、首都のグスタビアの港を歩くと、白人が圧倒的に多いことに気がつく。
セント・バーツは珍しいことに、スウェーデンの植民地だった。いや、植民地という言いかたは適当ではないかもしれない。もともとフランス領だったが、1784年にストックホルムでの交易の自由と交換にスウェーデンに貸し与えたものなのである。そして、セント・バーツも自由港として開放することが条件だった。1877年にフランスに返還されたが、その後も自由港──言い換えれば公然たる密輸港だ──として現在に至っている。
プランテーションを経営するには、畑地も雨量も少なく、奴隷を使うような仕事がなかったために金髪碧眼のカリブ人が残った。
関税などというものは、欧米の権力者どもが勝手に考え出し、私腹を肥やすためのものであって、島の住人には何の利益ももたらさないと、カリブ人は信じている。彼らは密輸を罪悪とは考えていないのだ。それどころか、ちょっとした利益を生み出すスポーツのようなものだと信じているようだ。
セント・バーツは仏領グアルダルーペの管轄下に置かれた自由港なので、ここからの積荷は無検疫で他の仏領の大きな島であるマルチニケやセント・マーチン、グアルダルーペに輸出できる。牛や豚、ひつじなどが生きたままドミニカ共和国やハイチから船積みされ、セント・バーツに立ち寄り、そこでいったん売買されたことにして仏領の島々へと輸出される。牛や豚などは船に乗ったままで、書類上の手続きだけが行われるのはいうまでもない。セント・バーツには他の島に売るほど牛や豚はいないのは誰もが承知のうえだが、島々にはセント・バーツ産の家畜が出回ることになる。
万事がそんな調子で、キューバの最高級葉巻やたばこ、酒、マントグレイラム酒、基金属、宝石類なども格安であるらしい。「らしい」と書いたのは、哀しいかな、当方にそれらの物を購入する財力がないうえに、興味もまったくなく、免税店での値段など知らないためである。
タックスヘブンの恩恵を受け、小規模ながらパナマやケイマンの向こうを張って何件かの銀行さえある。港で荷役をしているお兄さんが腕にロレックスの時計、首には金銀じゃらじゃらの装飾品をぶら下げていれば、それが普通でないことは一目瞭然だ。自国の税制を逃れた、表に出したくないワケありのお金が集まるのだろう。この土地には異様なほどの豪邸が島に点在し、超豪華ヨットが舳先を並べることになった。飛行場はあるにはあるが、小型機向きで、大型旅客機は来ないし、クルーズシップも立ち寄らないので、ヨットか自家用機で訪れるしかない。この密輸の島は、まだまだジェトセット族の島として静かな繁栄を続けることだろう。
第12回:ボートボーイ〜その1