第7回:いい顔
更新日2001/05/24
「いい顔」というのがあるものだ。
決してハンサムとか美人というのではなく、性格のよさ、穏やかさがそのまま表情に現われる。そういったものが歳月を経て、さらに味わいのある深みを湛えた「いい顔」の人がいる。
もう20年も前になるが、中古のヨットを探してスペインのパルマ・デ・マジョルカに行ったときのことである。マリーナ・クルブ・ナウテイコで目的のヨットを探しあぐねていた。冬場のオフシーズンだったので人気がなく、尋ねようにも人間の姿がなかった。住人のいるヨットは特有の雰囲気を持っている。週末だけ使うヨットとはどこか違う。
そんなヨットの1つを軽くノックしたところ、中年のおばさんが眩しそうにコンパニオンウェイから出てきた。こちらは英語で、「何々というヨットを探しているのだが、知らないか」と訊ねると、ヨットの名前を2、3度繰り返してから、ヤー、ヤー、と言いつつポンツーンに降りてきて、お目当てのヨットまで案内してくれた。どうやら、私のジャパングリシュは理解してくれているようだが、彼女の英語は、話すほうはほとんどダメのようだった。
そのヨットが係留されているはずのバースに着いてみると、そこは空っぽだった。私たちが残念に思っているのを察したのか、おばさんは「チョット待って」としぐさで示し、小走りに他のヨットの住人に聞きに行って、小太りの体を弾ませるように、息を切らせて戻ってきた。
服部と私はただ所在なげに、おばさんが尋ねて回るのを見ていたのだが、突然、服部が「あのおばはん、ええ顔しとるなー」と呟いた。私もちょうど同じことを考えていたところだったのだ。おばさんの親切に感じ入ったのは事実だが、それ以上のものが彼女の顔にあった。長年の潮に焼かれ、より鮮明に白く刻み込まれた深いしわと、大洋の水平線を見つめることによって培ったのであろうか、深く澄んだ眼。
自然の中で生き、自然との調和しながら暮らす術を見いだしたのではないかと思わせる顔がそこにあった。白髪のかった無造作な髪の、その中年女性の顔は、いくぶんの憧憬とともに私の記憶に鮮明に残った──10年、20年と海に出ていると、太陽と潮風がひとりでにそのような顔を作りあげてくれるのではないか。自分もそのような顔を持つ中年、老年ヨット乗りになりたいとものだと思った。それがとんでもない勘違いだったことを、20年経った今、はっきりと思い知らされているのだが。
当時はまだ、長年クルージングをしている人種に出会ったことがなかったし、そのような顔を持つ人々がいるということすら想像しえなかったのだ。
その後、私もヨット浮遊族の生活を続け、何百人というヨット乗りに出会ったが、いい顔を持ったヨット乗りはごく少数しかいないことを知った。わずかに出会ったそういう人々は、じつに惚れ惚れするような表情の持ち主だった。彼らは一様に経験を積んだヨット乗りであり、同時に謙遜な人間だった。
私の連れ合いが一度、私用でカリブから実家のあるカンサスシテイに帰ったことがあった。ほんの4、5日でヨットへ戻ってきたのだが、開口一番にこう言ったものである。「陸の人は、どうしてみんなキビシイくてキツイ顔をしているのかしら」と。
「人間40、50になったら自分の顔に責任を持つべし」などと余計なことを言った先人がいる。長くヨットに乗っているお前の顔はいったいどうなったのだ?という声が聞こえてきそうだが、我がヨットには鏡を置かないことにしている。
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