■貿易風の吹く島から〜カリブ海のヨットマンからの電子メール

佐野草介
(さの・そうすけ)


道産子。小学生の時、フランス人4人がヨットで世界1周する記録映画を見て、人生の針路を決定する。水上生活者として20余年。前半は地中海、後半はおもに大西洋とカリブ海で暮らす。現在はカリブの砂州、カージョ・オビスボにヨットを舫い棲家とする。



第85回:グラン・ブルー
第84回:女の武器
第83回:生と死
第82回:市民権
第81回:宝島
第80回:新マリーナ経営法 その3
第79回:新マリーナ経営法 その2
第78回:新マリーナ経営法 その1
第77回:処女航海 その2
第76回:処女航海 その1
第75回:ウエーブ・ダンサー その5
第74回:ウエーブ・ダンサー その4
第73回:ウエーブ・ダンサー その3
第72回:ウエーブ・ダンサー その2
第71回:ウエーブ・ダンサー その1
第70回:カリビアン・クイーン
第69回:クレブラ島
第68回:食は易し
第67回:椰子の木
第66回:イスレタ島人物伝 その4 〜 リチャードとレネ
第65回:イスレタ島人物伝 その3 〜フェリーキャプテンたち
第64回: イスレタ島人物伝 その2 〜ポリート
第63回: イスレタ島人物伝 その1
第62回: チュパカブラ
第61回: 裸の船
第60回: 悪役 その3
第59回: 悪役 その2
第58回: 悪役 その1


Caribbean Sea Map


Puerto Rico Map

■更新予定日:毎週木曜日

第86回:マテルニージョ

更新日2003/04/10


我がイスレタに渡るフェリーの桟橋は、プエルトレアルとマテルニージョの中ほどにある。どちらからも100メートルほどしか離れていない。マテルニージョはファハルド川沿いにあるスラムで、ラクダの鉄板を屋根にも壁にも張り付けただけの小屋が並ぶ。

修理中なのか、パーツをあさり尽くした盗難車なのか、車の残骸がそこここに転がり、水はけの悪い低地の一本道の通行をより困難にしている。小さなスコールでも川の水はすぐ溢れ、部落の一本道は踝から膝までの深さになる。

一面水に覆われた本来の道路はワダチとの区別がつかなくなり、よそ者の車が水面下のワダチによくハマル。車体の底がつき、動けなくなった車は、持ち主が車を離れたら最後、マテルニージョでは、ものの一時間もあれば、車は分解され、腑分けされ、持ち去られる運命にある。

中にはコンクリートブロック建ての本格的な家もあるにはある。これは普通でないショーバイをしている人の家で、ドラッグが絡んでいることは誰の眼にも明らかだ。

一度警察の手入れを目撃したが、まるで戦争をおっぱじめるかのような動員数で、ジープ何台分かの警官がライフル、機関銃の重装備でマテルニージョの部落を閉鎖し、捜査を始めた。が、逮捕された者はいなかった。ターゲットとされた御仁は、事前に川に繋いだスピードボートで雲隠れしたようだった。

アメリカはクレジットカード社会だ。キャッシュを受け取らないところは珍しくない。プエルトリコはアメリカの影響にドップリ浸かっているし、それにホールドアップが怖いので、通常、ポケットに20、30ドルも持って歩けばいい方である。現金で500ドル以上を身につけているのは、日本人観光客とドラッグディーラーだけだといわれている。

プエルトレアルの郵便局(住宅の一部を間借りしている、局員3人)へ毎日出向くが(イスレタには郵便が届かないので、局留めの郵便物を取りにいくのだ)、そこで、3人連れの人相の良くないお兄さんたちによく出会う。どこかへ送金しにきているのだ。片手で掴みきれない札束を郵便局のカウンターにドッサと置き、マネーオーダーを買っている。彼らが日本人でないことは明らかだから、もう一方のご職業の面々なのだろう。

よそ者だけでなく、お巡りさんも一人では部落へは足を踏み入れない。

私はマテルニージョのある家を訪れたことがある。

私の連れ合いは教職についているが、男の生徒の一人が校内で怪我をし、しかもかなり重傷のようなので、イスレタ老人救急などで手馴れている私を呼び出したのだ。私の事務所は学校の向かいにあるし、いつくるかも分らない救急車を待つより手っ取り早いというわけだ。

その生徒は足の不自由な障害者で、なにかの拍子に車椅子から転げ落ち、顔面、頭、肘を強打したようだった。障害で発育が遅れ、いびつにゆがんだ体は、とても13歳には見えず、7、8歳のものだった。

急患でさえ、2時間も待たされたことは今回の本筋ではない。派手な出血の割りには怪我の方はたいしたことはなく、額を何針か縫い、眼にしみるような真っ白い包帯で頭と腕をぐるぐる巻きし、「偏頭痛がしたらまたこい」との医者の診断だった。

彼、ホアキンの家はマテルニージョにあった。車椅子は学校に置いてきたが、たとえ車椅子があったとしても腕を痛めているので、自分で車椅子を回せなかっただろう。ホアキンは病院で治療を受けている半ばから、極端に神経質になり、大量の汗をかきだした。頭も手も貧乏ユスリのように震え始めた。

私は怪我がもたらしたショックのせいだと思っていた。しかしホアキンを抱きかかえ、掘っ建て小屋へ行くとき、彼の腕に無数の注射跡を見たのだ。彼がハードドラッグをやっていることは明らかだった。

マテルニージョに車を乗り入れ、ホアキンを降ろし始めたとき、「チニート(中国人)がきた。ホアキンを連れてきた。」と日陰に座り込んだ女性が誰に言うでもなくツブヤキ出し、同じ文句を繰り返し始めた。

ホアキンを母親に引き渡したとき、ホアキンからも母親からもありがとうの一言もなく、私が事故のこと、病院の治療のことを説明しても、まるで珍種のサルが人間の言葉を話すのを聴いたという表情で、私に焦点の合わない眼を向けるだけだった。

翌日車椅子を届けたときにも、騒々しかった小屋のなかがピタッと静まりかえり、母親が感情のない大木のように、無言で車椅子を受け取った。

2週間も経った頃だろうか、イスレタへ渡るフェリーの桟橋で悪ガキどもが水に飛び込み、河童になって遊んでいるなかに車椅子のホアキンを見つけた。彼は器用に車椅子を操りながら私に近づいてきた。私はホアキンがてっきり事故の時のお礼を言いにきたのだと思った。

私が怪我のその後の経過はどうだ、なかなか元気そうじゃないか、と言い終わるのを待って、彼は恐らく知っているただ一つの英語で言ったのだった。
「チニート、カネくんねーか…」。

 

 

第87回:遠き日本 その1

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