第83回:生と死
更新日2003/03/20
この島とも呼べないチッポケな砂洲で過ごした年月ほど、多くの死を眼にしたことはない。
また一人死んだ。
カートのことは、彼がテンカンの発作を起こしたとき、病院に担ぎ込んだことを以前書いたが、今回はポンツーンから彼のヨット“True Love”に乗り移るとき落水し、翌朝、フェリーのキャプテンがうつ伏せに浮いているのを見つけたのだ。
カートはテンカンの発作の後、常に落ち込みが激しうえ、普段から躁鬱気味で人付き合いが悪く、友達を作れない性格だった。かなり高い教育を受けた者の話し方をするし、いつも本を読んでいるので、気楽に声をかけるのが難しい雰囲気を持っていた。
いわばグリンゴ(アメリカ人)の典型的で、クルージングでカリブまで来て、そのままプエルトリコに居座り、キャンバスショップでどうにか係留料、ビール代を稼ぎ、ヨットは手入れもせず荒れるに任せスラム化し、いつも酔っ払っているのを人生の目的としているタイプになりつつあった。
それでも何度か、週末にヨットとあまり相容れない崩れた様相のウルトラビキニの女性が彼の船を訪れているのを眼にした。よい呑み仲間ができたかと思ったが、同じ女性が再び彼の船を訪れることはなかった。
この開けっぴろげ過ぎるイスレタでカートは孤立していた。私たちにした ところで、主に連れ合いが本を貸し借りする程度の付き合いしかなかった。
以前、彼を病院に担ぎ込んだとき知ったが、テンカンを抑える薬にアルコールは禁物なのだ。
彼には前科があった。私の知っているだけで4回は海に落ちているのだ。幸運なことに肘や顔を桟橋に擦っただけで、他のヨットのディンギィーに這い登ることができたが、今回は頭頂部をコンクリートの角に強くぶつけ意識を失い、そのまま溺れたもののようだった。発作ではなかった。
カートの死とドラマッチックに時をあわせるかのようにイスレタ人が誕生した。
リコとヴァレリーはマストの倒れた40フィートばかりの鉄船に棲んでいる20代後半のプエルトリコ人カップルだ。二人とも上手に英語を話す。どちらかの叔父だか叔母から月々お金が入るので働かなくてもよい結構な身分ということだった。
そこでもっぱら子供つくりに励んでいるのだろうか、ヴァレリーのお腹はいつもふくらみ、出産祝いのビールとかケーキとか何度貰ったか、あれはいつ、誰の時だったか分らなくなるほどだ。すでに5人子供がいたが、カートの死と前後して6人目が生まれたのだ。
ヴァレリーはいかにお腹が張り出そうが、自分のファッション哲学を曲げることなく、髪を赤く染め、顔の皮が隠れるほどの厚化粧をほどこし、体の線の隅々まで強調し、可能な限り肌を見せるのをよしとしているようだった。
彼らの夫婦喧嘩はイスレタ名物の一つで、張り上げる声も、モノの壊し方も、顔につくるアザや引っかき傷も半端ではなかった。イスレタに着たばかりのヨッティーが止めに入ったところ、リコとヴァレリー両方からパンチを喰らい、頬と唇に17針縫う怪我をした。
ある朝、カモメがギャーギャーと鳴くのがうるさくて眼をさまされ、デッキに出たところ、カモメなぞ一羽もおらず、激しいうめき声はリコとヴァレリーの船から漏れていた。死にいたるような悶絶の絶叫なのだ。また子供が増えることだ。
カートのように一人で暮らすのは自然の法則に則しておらず、派手に喧嘩し、おおらかにセックスし、つがって暮らすように人間は造られているのではないかという、当たり前の情感が現実味を帯びて湧き上がってきたことだ。
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