バリシュウ島訪問から3年後、私達はユカタン半島の付け根の部分にある国、ベリーズを訪れた。バリシュウ島からガリフナ族の航路をたどったわけではなく、寄り道を重ねながらクルージングし、珊瑚礁のパラダイスであるベリーズに着いたのだった。
島流しの翌年にあたる1797年、ベリシュウ島で生き残ったガリフナ族は奴隷船に乗せられ、カリブ海を東から西へと横断してベリーズ沿岸のロアタン島で解き放たれた。何人がバリシュウ島で生き残り、そのうちの何人が無事にロアタン島に着いたのかは知るべくもないが、チェロキーインデアンが辿った「涙の道」の海洋版と言ってもよいだろう。
到着した4月12日は、民族の「ヌエヴァ アメリカ(新しいアメリカ)到着記念日」となっている。現在ガリフナ族はグアテマラ、ホンジュラス、ベリーズ、ニカラグアに60ほどの村を造って住んでいる。総人口は10万とも45万ともいわれ、元来混血によって生まれた「新種」の民族はさらに他の民族と交わっていったのだろう、正確な数字は掴みようもない。文字を持たないガリフナ族は、書類としては歴史を残さなかったが、豊かに膨らんだ口伝と、中南米のインデオとスペインの混合とは全くかけ離れたアフリカの血が流れる音楽を今に伝えている。
ダングリガというガリフナ族の魚村の沖に錨を降ろした。村は川沿いで鮮やかな緑が背景をなし、水際に三角屋根をした小さな板葺きの家が並んでいる。家々の間にはロープが張られ、洗濯物が下がっている。私はこんな光景を昔どこかで見たような、懐かしい錯覚におそわれた。自然の片隅にチョット間借りしているかのような生活。男どもは漁に出、女衆は裏の畑と家事、子供は朝から晩まで海とジャングルで遊びまわる暮らしが、そこにはあるように思えた。私は無意識のうちに理想郷を探していたのだろう。
子供達は外交官だ。ヨットに続々押し掛けてくる。船外機の付いたゴムデンギィーにガキどもを乗せ存分遊ばせた頃、男衆も民族博物館から持ち出して来たような丸太舟でやってきた。そして今度は、私が丸太舟に挑戦するめぐり合わせになった。
私は若い時分、カヌー、カヤックをかじったことがある。なのでこんな丸太船を操るくらい簡単さ、とばかり漕ぎ出した。が、これほどバランスを取るのが難しい船も珍しい。半円形の丸底なので真っ直ぐ前に進まず、斜めに角度がついた状態で前に流れてしまう。あわてて反対側にパドルを入れ漕ぐとフニャと舳先を振り、さっきとは逆の方に流れる。進行方向にきちんと船をたてることができないので、小さな波にでも揺れ、海水が入り込む。水船になると余計不安定になり、最後は派手にヒックリ返ってしまった。これを、村人全員集合のような大注目を集めながら演じたのだ。割れるような笑い声が海面に響き渡った。海に落ちるのはまだよい。しかし、海に落ちた以上は丸太船に這い上がらなければならない。……それは村人をまた笑いこけさせるほど至難の技だった、とだけ言っておこう。
だが、よそ者たる私は、こうして入会式の洗礼を終えたのだ。
第29回:ガリフナ族のレジェンダ〜その3