随想、『奥の細道』という試みについて
これは、「私」こと谷口江里也が、松尾芭蕉の『奥の細道』という書物を読み進みながら、そこに書かれてあることと、旅の中で芭蕉が詠んだ
句を、彼の旅に随行するように味わいながら、そのときどきに感じた自分なりの想いを、あるいはそこから連想することなどを、きままに書きつづってみることで、日本の文学表現史の中でも、最もクリエイティヴな書物のひとつとされている『奥の細道』という作品、そしてそこに表現された『芭蕉』と触れ合おうとするものです。
この試みの目的は、まずなによりも、『奥の細道』という文学作品を体感することにあり、それをとおして作者である松尾芭蕉というアーティストの、この作品への想いや意図や姿勢を、自分なりに見つめることにある。つまり私の関心は、あくまでも『奥の細道』という文字で書かれた書物であり、そこに書き表されたものとしてある時空であって、彼の旅や、そこで彼が見たであろう景色そのものではない。したがって、この試みを行うにあたって、『奥の細道』という書物に登場する場所については、私はあえてはそれを訪れないことにした。その理由は、たとえ同じような場所を、現代を生きる私が訪れたとしても、三百数十年も前の時代を生きた芭蕉が観たであろう風景と、所詮、等しく向かい合うことができるわけはなく、その場所に到る過程や心境にも、いうまでもなく、大きな隔たりがあるからだ。
つまり私は、芭蕉がかつてそこに立ったであろうと思われる場所、観たであろうと類推するしかない景色の前に立つことで、場所との関係や心象を芭蕉と共有したと、ややもすれば錯覚してしまうことの危険から、あえて遠ざかることで、あくまでもこの試みの本意である、表現された結果としての『奥の細道』の「言葉」と接しあうことに専念したいと考えた。
それというのも、芭蕉の時代に、たとえ『奥の細道』や芭蕉がどんなに好きな人であったとしても、またそれに興味を持ったとしても、その旅を実際に追体験することが、現実的にそれほど簡単なことだったとは思えない。言うまでもなく当時は、新幹線も自動車もなく、『奥の細道』というタイトルが示すように、江戸からみれば辺境の地を行くこの旅路には、体を休めるまともな宿すら、決して多くはなかっただろう。つまり芭蕉は、この旅を、だれかが自分と同じようにたどることをではなく、むしろ、ほとんど誰も、芭蕉のようには旅ができないことを前提として『奥の細道』を書いたと思われる。
そうだとすれば、私が例えば、温泉宿や新幹線を予約して、週末に、芭蕉の句に詠まれた場所を訪れることは、無精な私にとって、格好の気分転換にはなるかもしれないが、だからといってそんなことで、『芭蕉』に近づけるとも思えない。かといって、当時と同じように編み笠を被って草鞋を履いて歩き、お堂に野宿をしてみる、などという旅をする酔狂も私は持ち合わせてはおらず、またそんなことをすれば、錯覚が高じて、決してガイドブックではないはずの、文学としての『奥の細道』から、下手をすればかえって遠ざかってしまうのではないかという危惧さえ覚える。
考えてみれば、文章表現というものは、リアリティに富んだ虚構を目指すものであって、それは何も小説ばかりではなく、『奥の細道』のような、一種の紀行文学でも、ドキュメンタリーでも、同じことだとも思う。
またこの試みにあたって私は、芭蕉が旅した場所を、敢えて新たには訪れないということに加えて、私がすでに持っていて手元にある二冊の本と辞書以外には、『芭蕉』や『奥の細道』に関して書かれた文献を新たに集めて目を通したりはしないことにした。もちろん、私は一般的な日本人がそうであるように、芭蕉のことを全く知らないわけではなく、何かを学校で習ったこともあれば、学生のころに『奥の細道』を読んだりしたこともある。
またそこに登場する加賀の地に生まれ育ったものとして、那谷寺や、そこで詠まれた有名な句のことなども、子供のころから知ってはいた。ずいぶん昔だが、観光の名所として名高い松島を訪れたこともある。ほかにも、新聞の記事や、テレビで紹介される芭蕉の番組を興味深く見たこともあり、また俳句という、日本語や日本の風土と深く関わる文化的特性を活かした優れた詩の形式にも、かねてから強い関心を持ってはいたが、だからといって、自らが俳句をたしなむわけでもなく、それについて強いて学ぼうとも思わなかった。
ただこのところ、外国の友人たち、とくにスペイン人の友人たちとの話題の中に、しばしば俳句や『奥の細道』が登場するようになってきた。これはおそらく、ノーベル賞詩人のオクタビオ・パスが訳して、スペイン語圏のアーティストたちのあいだで広く読まれている『奥の細道』の存在が大きいのではないかと思われるが、そんな彼らとの会話の中で、私は私なりに言葉を返しつつも、考えてみれば、芭蕉のことも『奥の細道』という作品のことも、あまり深くは知らない自分を、日本人として、なんとなく気恥ずかしく思ったりもした。
そのようなこともあっ
て、このさい『俳句』のことを、ひいてはその最大のマエストロである芭蕉と、その代表作とされている『奥の細道』に、私なりに接してみるのも、面白いのではないか。それは一人の日本人である私にとっておそらく無意味なことではなく、また、『奥の細道』のなにかが、現に外国人の心にも深くとどいている以上、そこには文化の違いを超えた、現代の地球人にとっての、なんらかの普遍性がきっとあるはずだとも考えた。つまりそれが、私がふと、「随想『奥の細道』という試み」をやってみようと思った直接的なきっかけにほかならない。
そして、その試みを始めるにあたっては、思い立ったが吉日と、いきなり旅に出るように、小手先の下調べや、付け焼き刃の知識などを求めず、不安を期待にかえて、まずはそれに取りかかるのが一番であり、それが『奥の細道』という紀行文学に、もっとも相応しいやりかたなのではないかと、無謀にも、自分の無知や怠惰や無精を棚上げして考えたのだった。
こうして、すでに出発してしまった私の旅の向こうには、俳句とは、それを表現するというのは、どういうことなのだろう。なぜ芭蕉はこのような本を書いたのだろう。この本を書くために、どうしてわざわざ旅に出たのだろう。そこで何に出会い、何を発見したのだろう。さらには、この書物をとおして、芭蕉は何を書き遺し、何を人々に伝えようとしたのだろう。そこにはどんな意図があるのだろうか、などなど……。つまり私の試みというのは、こうしたもろもろの素朴な疑問を抱きながら、あくまでも『奥の細道』という書物の中の想像上の旅を、等身大の『私』が、きままに体験し、あちこち道草をしながら楽しんでみようということにほかならない。だから、すべての旅がそうであるように、ここから先はもう、あとさき考えずに、成り行きにまかせて旅を進めてみようと思う。
なお、この旅では、三百年も昔の作品である『奥の細道』を、現代人である私が、まず私自身が身近に感じられる程度の現代語に私の解釈も加味して翻訳することで、芭蕉の歩みを自分なりに踏襲し、そのあとに、それに関する想いを付記しながら読み進むという方法をとることにした。
また、旅を読み進むための地図として、先に述べた二冊の本、すなわち、岩波書店から出版されている、萩原恭男氏の校注による文庫判の『おくのほそ道』と、同じく岩波書店から出版されている『芭蕉自筆 奥の細道』を携えることにし、それを参考にさせていただいた。こうした研究や、それを出版するという仕事に関して敬意を払うとともに、予めこの場を借りて感謝の意を表します。また芭蕉の旅の行程の区切りとしての小見出しは、それらを参考にしつつも、谷口が内容に応じてつけたもので、主に、宿場やシーンやテーマが異るごとに小見出しをつけ、それに応じて随想を付記することとした。
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